Voice 023. 心理職として、思うこと・考えること(後編)

匿名希望

心理職が出来ること

 身体的な治療等を受けた患者が地域に戻る際、在宅医療や診療所との連携、また患者によっては勤務先や通学先との連携、また生活の中では福祉制度の活用も考えられる。

 だが、本当に診療情報の提供のみでいいのだろうか。ワーカーさんによる地域連携のみでいいのか。例えば、心理職が見立てた“患者・家族の特徴や問題点、強み”などが先方に伝わることで、患者や家族のQOLが向上する可能性もあるのではないだろうか。また、起こりえる問題についても早期対応が可能になるのではないだろうか。

 よくある例として、長期的に入院していた患児さんが退院し、地域や学校に戻る際、当然SC等との連携があってもおかしくないが、SCの存在が話題に上ることはほとんどない。これは非常に“もったいない”ことである。

 学校への再適応や生活の状況について、SCを使わない手はないと考えているが、医療スタッフがSCの存在を知らないことも非常に多いのである。例えば、睡眠―覚醒リズムを整える指導は、SCでも当然行うはずである。そこで、医療側と学校側の心理職が情報の共有を行うようなシステムが(すでに構築されている地域もあるだろうが)今後増えて行けば、ますます医療現場から生活場面への適応について文字通り“シームレスな支援”がかなうのではないだろうか。


受診援助、相談援助は出来ていますか?

 心理職に相談をされる人は、広い意味で心の機能が低下している。機能低下に対して、心理学的介入で改善に向かうのか?生物学的治療が必要ではないか?環境調整の意味で福祉的なサポートは使えないか?私は、心理的な介入を行う以前にこの部分のアセスメントは必ず行うようにしているのだが、このあたりのアセスメントとリファーが出来る心理職は、果たしてどのくらいいるだろう。

 私も褒められた介入が出来ているわけではないが、これは医療分野だけの話ではないはずである。どの領域であっても、相談に来る方の悩みの“内訳”は様々であり、決して心理的問題が優先される方ばかりではないはずだ。

 その際、精神科では何が出来るか?どんなメリットがあるか?福祉的支援はどのようなものか?明確に答えられなくても、「まず、それが優先される」こと。そして(治療や支援の)恩恵を受けて心理的負担が低減した後に、改めて「心理職が出来ること」を提示することが必要ではないだろうか。

 「今、相対している患者さんは、本当にその支援だけを続けて良いのか。」私たちはそのことを常に自覚しなくてはならない。心理療法を継続しつつ、一方で(合意のもとで)精神科医を紹介し、睡眠―覚醒リズムの安定を目指した処方をしてもらうとしよう。そうなれば、判断力や思考力が改善し、患者の洞察や行動変容が良質のものになる可能性はないだろうか。それがQOLの向上につながる可能性(同時に、無用な心理療法で患者の問題を先延ばしにしない対策)を考える必要があるのではないか。そして、私は主治医を持ついかなる患者であっても、医師の“医療的指示”をもらうことは当然であると考えている。

 はっきりと書くが、このあたりの意識の欠落が今回の公認心理師法案の“医師の指示問題”を生んでいると私は考える。心理職は、自らが担える責任の範囲と“病気と悩み”に関する最新の知見を常に持ち合わせておく必要がある。

 今一度、この部分を考える必要があるのではないだろうか。


まとめ

 前述したように心理的支援は心理職だけのものではない。職種を挙げるときりがないが、心理職として勤務していれば、隣接領域の専門職の“悩める人への寄り添い”に感銘を受ける経験は少なからずあるだろう。

 だからこそ私たち心理職は、心理職だからこそ出来ることをもう一度考え、患者や家族だけではなく他職種に寄与出来ること、また患者や家族に対しても有益である対応(介入)方法を出来るだけ多く示していく必要がある。その体制づくりとして、国家資格は何が何でも必要だ。そして、ここで立ち止まることは全ての衰退につながることは、良識ある専門職であれば理解できるはずである。中身をどうするかは今後充分に詰めるとして、まずは土台を作ることが何より“心理職を頼りにする方々”のためになることを、今一度自覚する必要があるのではないだろうか。


 ここからは、個人的な要望である。

 いつか、教育・福祉・医療の心理職が一同に介し、ある患者さんのカンファレンスを開いて「切れ目のない心理的支援」について語れるようになりたい。そこには、関係職種も同席をして欲しい。各領域の特徴や役割、限界を知ったうえで本当の意味での“連携”をしたい。

 それを行うには、現時点ではあまりにも心理職の教育レベルや専門性に統一性が無さすぎると考えている。

 もちろん私も含めて、知識や経験が偏りすぎている。国家資格が整備され、教育と実習が充実し、患者や家族の苦痛が和らぐためのより幅広い知識と技法を身につける必要があると思われる。

 関係性に没頭するような面接を継続するも良し、患者の思考・行動パターンを焦点化して変容を起こす面接も良し。身体感覚への働きかけを用いるも良し。アプローチできるカードが多い方が良い。ただ、「この方法よりあの方法であれば改善が早い」場合、専門家へリファー出来る能力が必要だ。

 統合失調症・脳炎・せん妄を見抜く力や、借金や犯罪等、生活を揺るがす事態に対して相談できる専門家へ繋ぐ力が求められる。心理職がここの問題に見向きもせず、確認もせず、ただ漫然と面接を繰り返して問題を先延ばしにすることだけはあってはならないと考える。


最後に

 やがて、こんな私も年を取り「お前の言っていることなんて、古いねん!いつの時代の杵柄でモノを言っているねん!」と言われる、心理職はそんな健全な循環であって欲しい。  

 そのためには、心理職がこの先も繁栄する必要がある。繁栄か衰退か、いまが瀬戸際。まずはきちんと国家資格という“土台作り”を選択し、「より良い中身」のために心理職が意見を交わす、そんな健全な職種であることを願っている。そして私も、“心理職としての衰え”がまだまだ先であるように、より良く繁栄することに助力できる一心理職でありたいと思っている。