Voice 022. 心理職として、思うこと・考えること(前編)
匿名希望
はじめに
「心理職を知らない人と一緒に仕事をし、心理支援をする部屋もなく、心理支援の希望がない人に対し、心理職は何が出来るか?」
これは大学院に入学して間もない頃、ある教授(総合病院心理職の大先輩)から投げかけられた質問である。
「そんなん、無理やろ…」と頭によぎったが、「でも、そんな現場があるなら私はどうするか?」と自分自身に問いかけた。あれから12年、未だに明確な答えは出ていない。
ただ、奇しくも私が大学院修士課程修了後に入職した職場(以前の職場)は「精神科医のいない中規模急性期総合病院」であり、「救命救急センターあり・緩和ケア病棟あり・院内初の心理職」というおまけつき、また地域には「心理職が3名(児相・精神科病院)のみ・メンタルクリニック無し」という、同じ境遇の心理職がどこにもいない、完全なアウェーだった。そう、教授の質問そのものの環境だった。
新卒の心理職が飛び込んだ病院の風景は、あわただしいナースステーションで飛び交う医学用語、薬品のにおい、モニター音。それだけで緊張が走る。患者の病態はカルテを見ても理解すらできない。
看護師に患者のADLを尋ねると
(Ns)「ベッド上でタイコウしてます」
(私)「そうか、やや幼児返りしているのか…」
実は退行じゃなく、体位交換だったなんて・・・
がん患者のことを尋ねると
(Ns)「わりと転移がひどくて…」
(私)「看護師さん、なにかの役割を担わされているのかな?」
実は感情の転移じゃなく、がんの飛び火(転移)だったなんて・・・
こんな哀しくて、苦笑いが出るエピソードなんて山ほどある。
そんな総合病院勤務も10年目を迎えた。私は以前の職場を退職し、2年前からは大学病院に勤務をしている。たかだか10年少々のキャリアしか持っていないが、今思っていることを書いてみたい。
痛切に思うことは「心理的支援は、心理職のためだけのものではない」ということである。悩める人に関わる多くの職種がより良く、より望ましい形で心に寄り添い、力になりたいと願い、時に迷い、戸惑いながら関わっている。その際、色々な職種から心理職に“この方にどう関わったら良いか?”と質問されることは、ままある。心理的な理解を示しつつ、具体的な方法をお伝えすることで、患者も他職種も満足度が上がるようになる。
多くの職種がいる以上、それぞれの職種が大事にするものは異なることもある。治療成績、退院支援、QOL、正しい説明・教育など…時に優先順位を巡って多職種同士で衝突することも珍しくない。しかし、患者や家族にとって“より良い”ことを目指すという着地点は一致しているはずである。だからこそ、カンファレンスが成り立つのであろう。
心理職の立ち位置➀
心理職以外の職種は皆、国家資格を持っている。ここに問題がある。この現状が、心理職にとっていかに不利な状況を生んでいるか。役割に法的根拠がない場合、まず起きることは、患者や家族に対して「心理的援助」を行う際、多くの障壁が待ち構えているということである。部屋の問題、記録の問題、介入依頼システムの問題等、またカンファレンスへの参加さえもかなわないという実例を何度も見てきた。
これでは、心理職の専門性を発揮する機会をみすみす逃してしまっているというほかない。
私は、総合医療現場に勤務する心理職のSVを受けているが、このように個人レベルではどうにもならない問題点を抱えているケースがあまりにも多いと感じている。その“どうにもならない問題”を、彼ら彼女らは“自らのケースマネジメントやスキルの問題”として考え、そのうち良い解決策が見つからずに精神的に消耗し、やがてこの領域から姿を消す例は少なくない。もちろん、これは組織への批判ではない。医療機関の場合、心理職を配置する上で明確な根拠や前例がない病院はいくらでもある。
カルテは医局、休憩は看護師と、所属は事務、では年休や出張の印鑑は誰にもらったらいいの?というレベルで悩んでいる心理職は、決して少なくない。そして、職場も困っているのである。法的根拠がないことは、それだけで活動のハンディキャップになりえるのだ、ということをもっと知る必要があるのではないだろうか。
心理職の立ち位置②
総合病院での臨床経験を重ね、徐々に介入依頼が増えた際、「それは精神科医に…」と言いたくなるような案件も明らかに増えた。その頃、有効だったのは“Bio-Psycho-Socialモデル”を知ることであり、患者を包括的に理解することだった。そして、実はこれらの問題は地域や研究会、学会で繋がった精神科医に相談することで解決をみたことばかりだった。「精神科医はいない」で終わらせることも出来たかもしれない。
しかし分からないことは、主治医をはじめとする院内医療スタッフ(特に看護師や薬剤師、リハスタッフには本当にお世話になった)とともに考え、少しずつ「チームで行うアセスメント」の裾野が広がってきた。
誤解のないようにしたいのは、私はミニ精神科医になるような勘違いだけは起こさないようにしていた(そもそもなれるはずもない)。そのために、当時は数も少なかった「総合病院の心理職」の先生方にも、色々相談に乗っていただいた。そのうちの半分は半泣きでの相談だったことは、今となれば懐かしい思い出である。半泣きの私に力を与えてくれた方々がたくさんいてくれたことは、緊張と不安が尽きることはない中で、私が大きなIdentity拡散を起こさなかった要因である。